京都うらみちあんないにん 本多博昭さんさん



マイナーな京の新名物発掘にこだわる

■京都うらみちあんないにん
 本多博昭さんさん(40)

 生まれ育った嵐山。渋滞と混雑は日常風景だった。タレントショップにわんさか押し掛けるのに、一歩奥嵯峨へ行けば、歩く人もない。その落差に「?」を感じた。
 「もっと人がばらければ、あんな渋滞も起こらへんのに」。一つの情報に皆が右往左往している。なら、ガイドブックに載らない名所をネットで案内してやろう。「で、1週間に1度、人が気づかない場所とB級グルメを案内することにしたんです」。ちょうど今年で10年、500週を超える。
 京都はタマネギみたいな街で、むいても尽きない。町なかで普通にしゃべっているお年寄りが、何かのことで1冊の本でも書ける技を持っている。学者さんや、全国でも有数の尺八の師範だったりして。庭先で植木の手入れのおじいさんも、形が決まっている。「奥深いですよね」。アクセス数66万件。バナー広告は一切断る。
 本業の経営コンサルタントとしてのスタンスも、営業は一切しない。信頼を得たクライアントとは、深夜、年末年始でもとことんお付き合いする。京都市中京区。

京都服飾文化研究財団チーフ・キュレーター 深井 晃子さん



着る文化を究めつづける

■京都服飾文化研究財団チーフ
 キュレーター 深井 晃子さん

 さまざまな日本が取り込まれたヨーロッパのファッションを目にして度肝を抜かれた。奇抜さや奇をてらうのではなく、ヨーロッパ固有の文化として定着していたことにも。
 ジャポニスム。その言葉とともに、19世紀後期以降のファッションの数々が、深井さんによって初めて日本に紹介された。服飾関係者だけでなく、芸術家や学究たちも魅入られた。「洋服の歴史を知ることで、日本の洋服文化が世界的レベルに並ぶことができると考えています。その一つの手段として展覧会という形で、皆さんにお伝えしたい」。日本はもとより、パリ、米LA、NY、ニュージーランドなど世界で展覧会を開催、今も人気を博しつづけている。「うれしいのは、ジャポニスムが中学や高校の美術の教科書に取り上げられ、知識として認識されるようになったことです」と艶やかにほほ笑んだ。
 今後?「やっぱり、この仕事にこだわりつづけたい。ファッションは世界に共通するテーマ。着るという、生きるための文化的な行為であることにも気付いてもらいたいから」。京都市下京区。

■写真:深井さん監修による
「ラグジュアリー:ファッションの欲望」展
©京都服飾文化研究財団、畠山直哉撮影

食堂「わたつね」店主 中塚 博己さん



そばを通じて海外と交流広げる

 この春、フィンランドとエストニアを訪れ、現地の日本文化祭で「にしんそば」を振る舞ってきた。「食材はオール京都。美山・鶴ヶ岡産のそば粉を使い、うま味のきいた京風だしで、皆さんに喜んでもらえました」。ミニサイズながら3日間に計150杯近くを作った。
 そばを食べるのは日本だけではない。07年に自費で参加した中国での国際そばシンポジウムには14カ国、約200人が集まった。「世界にはいろんな食べ方があります。でも、そば切りは日本だけの技と味」。昨年はスウェーデンにも招かれ、めん棒をふるった。
 大阪外国語大イスパニア語学科卒。東京の外航海運会社に勤めていたが、31歳の時、父親が倒れ、京都へ戻って家業の食堂を継いだ。本格的に手打ちそばを始めたのは51歳から。麺類組合の仲間から手ほどきを受け、3年がかりで腕を磨いた。
 外洋にかけた夢は8年半で閉じたが、その語学力と人脈を生かし、いま「そば」という世界食を通じて海外とつながる。職業体験で受け入れる地元の中学生にいつも話す。「遠回りしても、頑張ればやれる」。京都府麺料理調理技能士会副会長。京都市中京区。

新・こだわり派宣言とは・・・

団塊と呼ばれる世代が一線から退き始めている。偏差値に苦しんだ後に、管理社会の歯車になって働いた数十年。束縛から解き放たれた今こそ「俺は俺や」と声を上げたい。自分らしいこだわりを持って、「新たな出発をしたい」と願う。そんなあなたにエールを送ろう。こだわりを心に秘め、まだ走り続けているあなたには、いたわりの声をかけよう。百人百様のこだわりを追っていく。

題して「新・こだわり派宣言」。

宮川町「花傳」女将 武田伊久子さん



淡いオレンジ色の光が、道の両側にぽつぽつと連なる。日暮れて、表の提灯に灯が入った宮川町通。照らし出される格子戸の家並みに、350年続く花街ならではの風情が漂う。
置屋「花傳」は、南北に長く延びる宮川町通の最も南に立つ。4人の芸妓を預かる女将は、なにより花街の「絆」にこだわってきた。
「他人どうしが集まって一つの屋形で暮らす私らは、いわば疑似的家族。太くて強い絆がないと、ばらばらになってしまいます。上下関係は厳しおすけど、一人一人の芸舞妓を周りの者みんなで育てていく。姉になった者は妹の面倒をとことんみる。そこらがよそさんの社会とは違います」。
芸舞妓にとって、花街の内と外にいかに多くの絆を結べるかが成功の鍵になる。「いうたら人の鎖どっしゃろか。網の目のように鎖をつなぐのが大事。その手助けをするのが女将の役割どす」。
女将になる以前、芸妓「小糸」だった時代に「インターネット芸妓の第一号」と呼ばれた。お客さんとの絆づくりに知恵を絞った末に付いた称号だ。ちょうどバブル経済が弾け、花街の客足が急減しているころだった。
「お客さんを待っててはあかん。こっちから提案せんと」。そんな思いでパソコンを習い「小糸のホームページ」を開いた。宮川町とお茶屋遊びの面白さをアピールし続けたところ、全国からアクセスが集中。「花街に興味を持って下さる方、遊びに来て下さる方、新しい宮川町ファンが大勢できました」。
中高生から、「舞妓になりたい」というメールの問い合わせが届くようになったのは、思わぬ収穫だった。実際に、メールがきっかけで花傳の門をくぐった3人は、いま一人前の芸妓に育っている。
女将になって11年。絆を重んじる目線の先にあるのは、花街の将来だ。「素晴らしいこの伝統文化を、生きたままの形で次の世代に渡すのが、私らの務めやと思うてます」。
務めを果たすには、どうするか。「外では、新たなお客さんを増やす人づくり。内では、お客さんのニーズに応えられる人づくり。両方が相まって花街は生き続けられる。やっぱり絆どすなぁ」。
和に徹して伝統としきたりを重んじる花街は、効率とスピード優先の現代に残る異空間だ。しかし、人々はその異空間の持つ優しさに憧れて集まってくる。こだわりを捨てず、時流にながされず、お客さんを迎え入れる女将の凛とした姿。表の提灯に、今日もまた灯が入る。

■取材協力/〒605-0801 京都市東山区宮川筋6丁目377-1
TEL:075-531-3480
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