新・こだわり派宣言「創」にこだわる

「ハーブで、生きがい・健康・地域づくり目指す」
団塊世代の同好グループ「創草塾」(宇治市)


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創草塾事務局/宇治市宇治琵琶45-13、宇治商工会議所内
TEL/0774(23)3101、FAX/0774(24)6930
E-MAIL/ssj@ujicci.or.jp
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 ハーブの代表種、ローズマリーには花言葉がたくさんある。「思い出」、「記憶」、そして「私を思って」。
宇治市志津川の、休耕田を利用した「創草塾ハーブ園」を訪れると、土の上に薄緑色をしたローズマリーの株が行儀よく並んでいた。ほんのり漂う甘い香りには、たしかに「思い出」という言葉がよく似合う。
広さ約千平方メートルのこのハーブ園は、団塊世代を中心にした男女40人でつくる「創草塾」が運営している。園内にはローズマリーやレモングラスを含め10種類以上のハーブが育ち、実習日には集まった塾生たちの会話が弾む。
 「創草塾」は、団塊世代の一斉リタイヤが始まった2007年、「社会の一線から離れる人たちの生きがいと健康づくりを」と宇治商工会議所がメンバー(塾生)を募り誕生させた。「だれでも取り組める活動には何がよいか」と、商議所や宇治市福祉サービス公社の幹部たちが知恵を絞り、ハーブ栽培のアイデアを出した。宇治茶の町で、お茶とは別の新地域ブランド品を開発する狙いだった。ハーブ園を広げていけば、不耕地利用にもつながる。「私も団塊世代ですが、明治、大正生まれの人たちのように80〜90歳まで健康に暮らせるか、といえば自信がない。みんなで体を動かし楽しみながら、ハーブを使った食品や製品で、少しでも健康的な生活を送りたいと思いました」。 副塾長で造園業の田中進さん(61)は、参加の動機をそう話す。
 メンバー(塾生)は、宇治市内だけでなく京都市や大津市からも通って来る。月2回の活動日は、畑仕事でも、ハーブクッキーなどの食品づくりでも、女性たちの元気さが目立つという。ハーブ製品の商品化はこれからがヤマ場。石けんやオーデコロン、ハーブ茶の試作品はすでに完成している。「商品化には、ハーブ原料の大量確保が欠かせません。もっと育てて、もっと収穫しないと…」。 宇治商議所の長谷川節穂事務局長は、塾生のやる気に期待をかける。源氏物語に登場する宇治らしく、源氏第三十帖の藤袴にちなんでフジバカマの栽培に力を入れる計画も進む。フジバカマは芳香を放つ良質のハーブだが、あまり知られていない。塾開設4年目の今年、どんなハーブ製品が生まれるのか、周囲の注目が集まる。


■キャプション
(1)夏はハーブ畑づくりに汗を流す(アクトパル宇治)
(2)完成した畑にハーブを植え付ける
(3)創草塾のハーブ園と副塾長の田中進さん
(4)ハーブを使ったクッキーづくり。ここは女性たちの出番
(5)創草塾で開発したハーブ使用の石鹸とオーデコロン
(6)フジバカマのさし芽作業
(7)乾燥させたハーブを点検
(8)専門家を呼んでの研究会


新・こだわり派宣言 「迎」の心を伝える

新・こだわり派宣言 「迎」の心を伝える
いもぼう 平野家本家 女将 北村明美さん


 老舗料亭の女将として、お客さんを迎える姿勢は、あくまで自然体。「気持ちよく過ごされ、気持ちよくお帰りいただくのが、おもてなしです。格式ばったお迎えでは、お客様が緊張するだけ。気楽に過ごしていただけるよう、ゆったりと笑顔でお迎えして、笑顔でお送りしなければ…」。
 享保年間(一七一六〜一七三五)に現在の円山公園内で創業したいもぼう平野家本家は初代が考案した海老芋と棒鱈でつくる料理「いもぼう」で知られる。名高いこの料理は一子相伝。当代は十四代に当たる。店内は、お客さんを迎えるための“しつらえ”にこだわっている。テーブル席のほか五室ある座敷には活花や軸、几帳など四季に応じた“しつらえ”が施され、祇園・円山地域ならではの風情でお客さんを包み込む。
 先代の二女に生まれた明美さんは大学卒業後、若女将を経て二十年前から女将を務める。身だしなみは「お客様より派手な着物は控える」を守ってきた。お客さんを萎縮させるような迎え方はしたくないからだ。接客で大切にしているのは笑顔ともう一つ。聞かれて「知らない、判らない」とは答えないこと。京都の地理や乗り物、買い物案内など、お客さんからは様々の質問がある。「せっかく京都に、おいでになったのに、地元の私たちが知らないでは心許ない。精一杯、知るように努力して、それを外には見せず、できるだけ何にでもお答えできるようにする。おもてなしは、やっぱり真心です」。
 帳場には、すぐ答えられるよう観光案内本や時刻表などをたくさんそろえている。五年前、店の周辺の観光案内地図「いもぼうマップ」を独自に製作したのも、そんな心遣いから。今ではコピーして店内に置いておくと、すぐに無くなる超人気の地図になった。
 明美さんを可愛がってくれた先々代(祖父)の口ぐせは「ほんまもんを見なあかん」だったという。「茶碗一つでも、材質が陶器なら落とせば割れる。プラスチックなら割れない。陶器や漆椀のような、ほんまもんの素材を使った器や道具は美しく品もよい。でも『しっかり見て触ってから使いや』と教えてくれました」。老舗が守るおもてなしの心は、こうして女将の胸に深く刻まれた。「私が引き継いだ知恵と経験を、さらに磨いて次の世代に申し送りたいと思います」。

■取材協力/いもぼう平野家本家
住所/京都市東山区円山公園
TEL/075(525)0026(店舗)
■写真キャプション
(1)いもぼう・石畳のエントランス
(2)客席はしつらえを重視。これはお正月用の「ヒカゲカズラ」の床の間飾り
(3)客席から望む坪庭
(4)店内から屋根へ突き抜ける名物の椋の木
(5)落ち着いたたたずまいの、いもぼう平野家本家店内
(6)円山公園の木立の中に立ついもぼう平野家本家


新・こだわり派宣言「蓮岡 修 さん」

ことしこの人
絵本で教える本当の平和。
京都市左京区、絵本専門店「きんだあらんど」店長
蓮岡 修 さん(36)


 今年から新しく、絵本の読み語りを中心にすえた子育て支援の活動を始める。行政から委託を受け、地域で子育て中のお母さんたちに自由に立ち寄ってもらう場所を提供する。20年以上続いた子どもの本専門店を引き継いで2年目。子育て支援の会場は、一軒屋の2階にある店舗の上階を使う。ライフワークの読み語りをする回数は今よりずっと増える。
 島根県にある浄土真宗の寺に生まれ、大学でも仏教を専門に学んだ。「宗教で人が死ぬ」現場を見たくて報道カメラマンを志し、19歳でいきなりアフガニスタンの戦場に飛び込んだ。現地で、日本のNGO「ペシャワール会」代表の中村哲医師と出会い、1999年に現地派遣員としてアフガンでの医療活動と水源確保事業に携わることになった。武装勢力タリバーンの政権やアメリカによる空爆。治安が悪化しても黙々と働く中村医師の元で、住民たちと井戸を掘り続けた。
 ある日、孤児があふれるカブールで、日本の絵本『せかいいちうつくしいぼくの村』(小林豊作、ポプラ社)を偶然、見かけた。さくらんぼがよく採れる村で、1人の少年が戦争に行った兄の代わりに街へ果物を売りに行くストーリー。戦争の情景は何ひとつ出てこない平凡な日常が描かれ、最後のページで「村は戦争で破壊されいまはもうありません」と大虐殺の事実と合わせて語られる。「平和な日常」を描いた絵本に、子どもたちは取り合いまでして夢中になっていた。その大きな力に心を打たれ、「絵本は想像力を育てる。それが一番の平和の種だ」と感じた。
 子育て支援への参画には、アフガン体験に基づく思い入れがある。「戦争反対よりも、大好きな日常を確かめることが分かりやすい。挨拶をする。靴をそろえる。そこにこそ平和の種があると思います」。あれもダメこれもダメではなく、遊水地のように子どもたちがホッとできる場所づくりを目指す。いつでも誰でも肩の力を抜いて迎え入れる「近所のへんな兄い」になって、絵本で平和を話していくつもりだ。

キャプション
(1)アフガンで現地の人々と交流する蓮岡さん
(2)アフガニスタンで井戸を掘っていたころの蓮岡さん


新・こだわり派宣言「仲川 愛 さん」

ことしこの人
介助犬、聴導犬を育てる。
長岡京市友岡、「京都ケアドッグステーション」訓練士
仲川 愛 さん(26)


 「体の障害で日常生活に不便のある人や耳が不自由な人に、自分が手塩にかけて訓練した介助犬や聴導犬をお渡しして、役立ててもらいたい」。新しい年、何より実現させたいのは自分にとって初めての「訓練犬独り立ち」だ。
 児童福祉を専攻していた大学時代、補助犬訓練のポスターを見て介助犬や聴導犬の訓練士を志した。大学卒業後の1年間はフリーターで学費を稼ぎ、NPO法人の京都ケアドッグステーションに入った。昨年春、訓練士の資格を取り現在は、ラブラドールレトリバーの介助犬候補「リバー」(雌)など3頭の犬を担当。24時間付きっ切りの訓練と世話に明け暮れている。「寝る時も一緒、休日も一緒。私の子どもみたいな存在です」。リバーは「ダウン」などの号令にもよく従い、路上に落とした携帯電話を口で拾う動作も板についてきた。
 人の手助けをする補助犬は盲導犬がよく知られ、国内には1000頭以上いる。介助犬は靴を脱がせたり、ドアの開閉、車いすを引いて来たりするのが役目。聴導犬はメールの着信音や非常ベルの警報音などをユーザーに知らせる。しかし、その数はともに国内で50頭にも及ばず、一般にもほとんど知られていない。「障害のある人たちにも知らない方が多いんです。せっかく役立つ犬がいるのに、ご自分がそのユーザーになれることに気づいていない。よい犬を育て、私たちがもっと啓発しなければ」と意気込む。
 介助犬候補の犬たちが一人前になるまでには1年半から2年はかかる。最後はユーザーともども認定試験を突破しなければならない。「リバーは落ち着きがあり、介助犬向きの性格です。ことし前半にはユーザー希望者とマッチングをして来春の認定試験に合格させてやりたいですね」。将来は、ふるさとの大阪で、補助犬を育てる自分のドッグステーションを開く夢を描いている。 

キャプション
(1)リバーなど担当する犬3頭とは親子のような関係
(2)仲川さんの号令で、落とした携帯電話を拾うリバー
(3)上司と一日の訓練の反省点を話し合う仲川さん


新・こだわり派宣言「酒」にこだわる

 お酒好きには忙しいシーズンが巡ってきた。飲む場所や雰囲気も大事だが、「本当に旨い酒に巡り会いたい」という人も多いはず。そこで今回、究極の一品にこだわる日本酒ファンに、「酒米オーナー制度」を紹介しよう。
 簡単にいえば、酒米栽培から醸造・蔵出しまでの酒づくりに出資して、搾りたての新酒を受け取るシステム。運営主体は農業生産者団体やNPOなどが多い。オーナーは田植えや稲刈り、酒蔵見学や搾り作業にも参加できる。そして年度末に手にするのは、ほかのどこにもない「自分で育てた自分の酒」だ。 
 京都市右京区嵯峨の、山田耕司さん(61)たち5軒の農家が集う「嵯峨酒づくりの会」は、オーナー制のパイオニア的存在。独自銘柄の純米大吟醸酒「月賞(げっしょう)」を手がけ、今年で14年目になる。農地を含め景観規制が厳しい嵯峨地域では、田んぼを作り続けながら、減反にも応じなければならない。難問の回答には、減反対象と認められる酒米の栽培しかなかった。「どうせなら、資金を募り自分たちで米も酒もつくるオーナー制度を」。有志が一致して京都特産の酒米品種「祝」を選び、約60アールに植え付けた。
 「強風で稲が倒れたり害虫にやられたりしたけど、ようやく軌道に乗ってきました」。山田さんが振り返るように、「祝」の栽培面積は1ヘクタールに広がり、年間約350キロを収穫する。年会費は1口1万円で、オーナーは170人に増えた。6月の田植え、8月のかかし祭、10月の稲刈りにはオーナーとその子どもたちも参加して、にぎやかになる。
 収穫した「祝」は、伏見区の齊藤酒造に醸造を委託した。全国新酒鑑評会で「連続12年金賞受賞」という優秀蔵だ。蔵に持ち込む「祝」の粒は45%まで磨く。12月から仕込みに入り、1月半ばが初搾り。醸造担当の同社取締役、藤本修志さんは「祝は、手がかかる難しい米ですが、うまく育てるとふくらみがあって、実においしい酒になる」。「げっしょう」は毎シーズン、1.8リットルびんで約1100本分が生産され、オーナーに配当される。買うとなれば1.8リットル5千円の高級酒だ。
 酒米オーナー制度は、いま全国に広がってきた。田植えや稲刈りで流した汗のしずくが、珠玉の一滴に生まれ変わったのを自分の盃で確かめる。オーナーだけが味わえる至福の時間を、あなたも体験してみてはどうだろう。

■今回、ご紹介する「こだわり派」は、
嵯峨酒づくりの会(京都市右京区嵯峨)
代表:山田耕司さん
TEL:075(871)2130

■取材協力
齊藤酒造株式会社
(京都市伏見区横大路三栖山城屋敷町)
藤本修志さん TEL:075(611)2124

■キャプション
(1)純米大吟醸「げっしょう」
(2)嵯峨酒づくりの会 稲刈り風景(2008年)
(3)嵯峨酒づくりの会オーナーたちによる田植え(2008年)
(4)モロミを搾る装置
(5)齊藤酒造の酒蔵内部
(6)齊藤酒造の遠景
(7)収穫後、検査を受ける嵯峨酒づくりの会の酒米「祝」
(8)初搾りを迎えた「げっしょう」
(9)初搾りは1月の酒蔵見学当日に行う
(10)できたての「げっしょう」を試飲するオーナーたち


新・こだわり派宣言「食」にこだわる

手入れが行き届いた畑に、雑草は1本も見えない。黒々とした土の上に、青々と茂った野菜たち。ブロッコリーもハクサイ、ニンニク、シュンギク、サトイモ…も、みんな活きがよく陽の光を浴びてつやつやと輝いている。宇治の市街地から東北へ約8キロ、ぐるりを山に囲まれた「喜撰坊農作研究会」の農園(宇治市西笠取)は、実りの秋を迎えて連日、研究会メンバーの鍬をふるう姿が絶えない。
 一帯の標高は300メートルを超す。農園から向かいに広がるソバ畑へとわたっていく風が肌に心地よい。畑を見下ろす小高い場所に立つのが、手打ちそば処「喜撰坊」で、午前中に畑で採れた野菜が昼食メニューにすぐ調理され、お客さんの口に届く。
 「野菜もソバも無農薬、有機栽培です。できた野菜は甘味が違いますよ。生でかじるとすぐわかる。昼と夜の寒暖の差が大きい土地なのでソバもよく育ちます。ソバの個性、とくに香りが際立つんです」。喜撰坊の女性経営者、林幸佳さんは食材に徹底的にこだわる。ここを、自分の修行の場として「ほんまもんの追究」にかけているのだ、という。そんな意気込みはお客さんにも伝わり、最近はリピーターの来店が目に見えて増えている。
 店のメニューは豊富で、野菜や10種を超すソバ膳のほか、契約している地元農家の純粋地鶏と卵を使った料理、滋賀県の農家と特約した近江牛を使う“すき焼き”は人気が高い。
 店がオープンした2002年、同時に誕生したのが喜撰坊農作研究会だった。休耕田を利用した野菜とソバの無農薬、有機栽培が始まり、林さんを中心に約10人の仲間たちが試行錯誤を重ねてきた。最近はソバ畑に侵入する野生ジカの食害が深刻になるなど、課題と悩みは常に尽きない。
 こだわり抜く林さんの信念と行動を支えているのは「利他の心」だ。10年前から京セラの稲盛和夫名誉会長が主宰する「盛和塾」に入塾。そこで、「世の中に何をお返しできるかだ」と説かれた。安全安心な「食」の生産と提供で、利他の心を実践する。それが林さんの「お返し」なのだろう。研究会の畑に育ったブロッコリーの大きな葉は、虫に食べられた穴がいっぱいだったが、それは安全と健康の証明書のように見えた。


新・こだわり派宣言 「音」にこだわる

今回、ご紹介する「こだわり派」は、岩澤 一廣 社長

取材協力:(株)岩澤の梵鐘/京都市右京区太秦唐渡町22
TEL:075(871)1001

 もの悲しい秋の日には、鐘の音がよく似合う。かつて双ケ丘(京都市右京区)の麓に住んだ兼好法師は、朝な夕なに響いて来る鐘の音を聞き比べていたらしい。徒然草220段にこう記す。「凡そ鐘の声は黄鐘調(おうじきちょう)なるべし。これ無常の調子…」。
 黄鐘調は、雅楽にもある古旋律の一つで、西洋音楽のイ短調に当たる。妙心寺の国宝「黄鐘調の鐘」はまさにそれで、天下の名鐘として名高い。7世紀後半に鋳造され、およそ1300年間鳴り続けた。兼好法師も、きっとその音色を聞いたに違いない。「古くから日本人を魅了する鐘の音は、どのように生み出されるのか」。それが知りたくて、京都市右京区の梵鐘製作会社「岩澤の梵鐘」(岩澤一廣社長)を訪ねた。
 「音の良し悪しは梵鐘の肉厚や、材料(銅と錫)の配合割合で決まります。造った後、すぐに鳴らさず半年、1年と置いて養生すると音色はさらによくなります」。岩澤社長は、創業者の先代に従ってこの道に入り約40年。これまでに、およそ5000口の梵鐘鋳造に携わったという。
 材料の銅と錫の配合比率は、ふつう6対1ほど。錫の量が多いほど音は高くなるが、梵鐘はもろくなって割れやすい。頑丈で、しかも顧客の求める音色をつくり出すのは至難の業だ。経験と勘に加え、これまでに製作した梵鐘の音の波形や振動数など、過去に蓄積したデータが物を言う。
 材料が決まっても、梵鐘が完全な形で鋳造されなければ、よい音は生まれない。歪みのない形は「溶かした材料(湯)を鋳型に流し込む火入れの瞬間に決まる」という。流し込みの勢いが強すぎても弱すぎてもだめ。湯の色で温度を見ながら途切れずさっと流すのがコツ。火入れが順当で肉厚が整った梵鐘は、決して音が濁らず余韻も長く響く。
 岩澤梵鐘は、実は妙心寺の「黄鐘調の鐘」とも縁が深い。国宝の名鐘が1974年に引退した際、それに代わる新しい鐘を鋳造。「名鐘の音をそのままに復活させた」と賞賛された。岩澤社長は「聞く人に、いかに安らぎを与えられるかを常に考え鋳造しています」と話す。鐘の音は無常を説くみ仏の声だといわれる。耳と心を澄まして聞けば、さらに造り手の心も伝わってくるだろう。

■写真キャプション
(1)組上がった鋳型(外型)。
(2)鋳型に溶けた銅と錫を流し込む火入れ。1200℃の真っ赤な液体が一気に注ぎ込まれる。
(3)鋳型から取り出した梵鐘は黒鉛を塗って磨き上げる。
(4)完成後、同社の敷地内に置かれて養生中の梵鐘。


新・こだわり派宣言「挑」む。

 宇治川の観光鵜飼が今夏も佳境を迎えた。平安時代に始まったとされる古式漁法だ。観光客向けとはいえ、様式は昔と変わらない。中折れ烏帽子に腰蓑を着けた鵜匠の衣装は、格式さえ感じさせる。鵜舟には、鵜匠1人と船頭2人が乗り込み6〜8羽の鵜を操ってアユやハエを追う。鵜飼は全国12カ所で行われているが、女性鵜匠が2人も活躍しているのは宇治川だけ。その二人の女性鵜匠に鵜飼に対する想いを訪ねた。
 経験8年目の澤木万理子さんは、主婦であり宇治市観光協会職員でもある。鵜飼を知り「私も鳥が好きだから」という動機で鵜匠に挑戦、熱意が認められた。「鵜の能力には毎日、驚かされます。それぞれの鵜の性格を見分けて手綱をどう操るかが、鵜飼成功のポイント。いま8年たって、伝統文化に携わることに喜びを見出しています」と話す。
 経験4年目の江崎洋子さんは宇治市内の大学職員。岐阜市出身で、長良川の鵜飼を見て育った。「私もやってみたい」と思いあこがれていたが、長良川の鵜匠は宮内庁式部職で男性に限られる。思いがかなったのは、社会人になり、写真撮影助手の仕事で澤木さんに出会ったのがきっかけ。いまは大学の仕事が終わると鵜飼場へ駆けつける。「鵜に会うと元気がもらえるんですよ。まだまだ未熟ですし、鵜飼の中腰姿勢もしんどい。でも、女性鵜匠なりのちゃんとした仕事を見せることを意識して手綱を操っています」と話す。
 日が落ちて遊覧船の観客が見守る中、鵜飼が始まると、お馴染みさんからは「マリちゃん」「洋子ちゃん」と声がかかる。潜っていた鵜が再び水面に顔を出した。女性鵜匠は6羽の「戦果」を瞬時に見分ける。魚を飲んだ鵜はさっと引き上げられ、魚を吐き出すと投げるように水面へ戻される。女性鵜匠はこの間を除けばほとんど中腰の姿勢を保ち、6本の手綱を操る。泳がす、吐かす、戻す。繰り返される激しい動きにも、綱は決して絡むことがない。
 人と鳥が一体になった水上のドラマ。苦しさ、難しさはたくさんあるが、人に感動を与えられる仕事は、やりがいも多い。女性鵜匠の活躍は、挑戦の大切さ、すばらしさを教えてくれる。これを機に、あなたも何か新しいことに挑戦してみてはどうだろうか。きっと心躍る発見ができることだろう。

■写真キャプション/宇治川の鵜飼
(有)宇治川観光通船が営業。ことしは9月27日まで毎夜出船する。
TEL:0774(21)2328
■写真キャプション/今回、ご紹介する「こだわり派」は、
澤木万理子さん(左)、江崎 洋子さん(右)


新・こだわり派宣言 「技」にこだわる

今回、ご紹介する「こだわり派」は、
木地師の技を継承する「匠」の1人・小椋正美 さん

東近江市蛭谷町196
TEL:0748(29)0430

 分け入っても分け入っても青い山、とはこのことだろう。京都市内から車を走らせてたっぷり2時間。鈴鹿山系の内懐まで入り込んだつもりが、目指す旧・永源寺町蛭谷の集落(滋賀県東近江市)は、まだ遠かった。
 蛭谷には、木地師の技を継承する「匠」の1人、小椋正美さん(78)の工房がある。蛭谷と、その奥の君ケ畑集落は木地師発祥の地とされるが、地元の現役木地師は小椋さんを含め今や2人だけ。1200年続く匠の技を、今のうちにしっかり見ておきたかった。
 お椀やお盆、しゃもじなどの木工製品造りに従事する木地師の歴史は、平安時代まで遡る。京の都からこの地に一時、隠棲された文徳天皇の第一皇子、惟喬親王(844〜897年)が貧しい人々の暮らしを見かねて、木工の技術を教えたのが始まりと伝わる。
 谷あいにわずか7軒が身を寄せ合う蛭谷集落をやっと探し当て、小椋さんの工房を覗いた。広さ4m四方ほどの狭い空間に裸電球が一つ下っている。モーターのスイッチが入ると、轆轤(ろくろ)の軸に固定された丸いケヤキの用材が勢いよく回り始めた。用材の中心に細長い鉋の刃が当てられる。ドロドロドロッと、鈍い音が響き鉋屑が工房内に吹き上がる。用材という暴れ牛を、小椋さんが角を掴んで組み伏せているかのようだ。体重を乗せる轆轤棒と鉋を巧みに操る小椋さんの左腕に、鉋屑が積みあがっていく。轆轤が回っている間は、払いのける余裕とてない。木と人との真剣勝負だ。約20分でモーターが止まる。「荒仕上げを終えた」という用材は、胴に見事な湾曲を持つ菓子器に変身していた。
 「採算を考えとったら、この仕事はできん」。中国産などの安い外国製品に押され国産の木工品需要は激減した。小椋さんが仕事を続けるのは、木地師の里としての伝統を絶やしたくない一心からだという。匠は、伝統の技術とともに、歴史ある集落の存続に強くこだわっていた。
 両手指に深いひび割れと皺を刻んだ小椋さんの話を聞きながら、工房の裸電球がいつまでも灯り続けるよう、願わずにはいられなかった。


「涼」にこだわる

 鴨川右岸に小麦色の帯が走る。納涼床に張りめぐらされるすだれの列。二条大橋から五条大橋辺りまで縦に続き、一本の涼線を形づくる。京の夏に、なくてはならぬ演出だ。
 王朝時代の宮中寝殿にかけられた御簾(みす)が原型とされる日本のすだれは、手編みの「京すだれ」をもって最高級とする。むきだしのコンクリート壁やアルミサッシ窓も、京すだれが一枚かかるだけで風情と涼味が加わり、無機質や殺風景は一気に和む。
 すだれの材質には竹とヨシ、ほかにガマ(蒲)などもある。かつては、青竹を細く割った青すだれが多かったが、いまはほとんど見かけない。納涼床の鮮やかな小麦色は、ヨシすだれが生み出す。澄んだ色合いを出すために、倉庫で数十年寝かされるヨシ材もあるという。
 目隠しになって日差しを遮り、風をよく通せば、合格点とされるすだれだが、本場の京都ではそうはいかない。見た目に涼やかで、清々しく、色合いよく仕上がっていなければ満足しない。京都人の「涼」へのこだわりだろう。日に焼かれ茶褐色に変じたすだれでは、同じ納涼床でも足を入れるのをためらってしまう。
 庶民の暮らしに、すだれがなじんだのは、室町時代といわれる。以来、ざっと700年。京の街々で今も利用されるのは、近隣との関係で重宝するからだ。家の内を開け放っても、すだれ一つで外からは見えず、内からは外が透けて見える。軒を接するご近所と、プライバシーを守りながら、ほどほどの間合いで付き合ううえで、これほど有用な生活具はない。
 「簾(すだれ)越しなればつくづくと見つつあり」は、加藤楸邨の秀句。じっとりとした暑さの季節、すだれがもらたらす涼に身を委ねてみたい。

■写真キャプション/暮れ時の鴨川納涼床。すだれとぼんぼりの灯が情趣を盛り上げる。


和詩倶楽部 廣谷 真由さん



和紙の可能性をひらく

 12年間、和紙に魅了されて没頭してきた。照明も、和紙を通すと柔らかい。淡い陰影となって灯りを映し、涼しげな一風が吹き抜ける。
 「紙がその上に乗せて運ぶのは文字だけではありません。素材となった草木の息吹、土の匂い、それを手にする人の手の温もり…。それらすべてを運ぶからこそ、植物の繊維を薄く広げただけのものが、強く人の心をとらえると思うんです」と熱い。なるほど、日本伝統の和紙は楮、三椏、雁皮といった素材のしなやかさを生かし、何にもまさる情報媒体としての魅力を備える。
 和紙に向かうと、デザインへの意欲がふつふつと湧いてくる。季節ごとに色と素材に変化を持たせ、すいたばかりの紙の上から水滴を散らすと、雨上がりの風情が浮き上がる。春先には竹を挟ませ、秋には落葉を舞い散らせる。冬には炒ったコーヒーを点描することで温もりを抱かせる。
 「和紙って、本当に可能性に満ちています。衣装文庫といった伝統的な和紙製品だけでなく、あらゆるインテリアや店舗ディスプレイまで、生活のさまざまな場面に自由な発想で素材を生かしていきたいですね」。和紙発信にこだわり続ける。京都市中京区。

京都うらみちあんないにん 本多博昭さんさん



マイナーな京の新名物発掘にこだわる

■京都うらみちあんないにん
 本多博昭さんさん(40)

 生まれ育った嵐山。渋滞と混雑は日常風景だった。タレントショップにわんさか押し掛けるのに、一歩奥嵯峨へ行けば、歩く人もない。その落差に「?」を感じた。
 「もっと人がばらければ、あんな渋滞も起こらへんのに」。一つの情報に皆が右往左往している。なら、ガイドブックに載らない名所をネットで案内してやろう。「で、1週間に1度、人が気づかない場所とB級グルメを案内することにしたんです」。ちょうど今年で10年、500週を超える。
 京都はタマネギみたいな街で、むいても尽きない。町なかで普通にしゃべっているお年寄りが、何かのことで1冊の本でも書ける技を持っている。学者さんや、全国でも有数の尺八の師範だったりして。庭先で植木の手入れのおじいさんも、形が決まっている。「奥深いですよね」。アクセス数66万件。バナー広告は一切断る。
 本業の経営コンサルタントとしてのスタンスも、営業は一切しない。信頼を得たクライアントとは、深夜、年末年始でもとことんお付き合いする。京都市中京区。

京都服飾文化研究財団チーフ・キュレーター 深井 晃子さん



着る文化を究めつづける

■京都服飾文化研究財団チーフ
 キュレーター 深井 晃子さん

 さまざまな日本が取り込まれたヨーロッパのファッションを目にして度肝を抜かれた。奇抜さや奇をてらうのではなく、ヨーロッパ固有の文化として定着していたことにも。
 ジャポニスム。その言葉とともに、19世紀後期以降のファッションの数々が、深井さんによって初めて日本に紹介された。服飾関係者だけでなく、芸術家や学究たちも魅入られた。「洋服の歴史を知ることで、日本の洋服文化が世界的レベルに並ぶことができると考えています。その一つの手段として展覧会という形で、皆さんにお伝えしたい」。日本はもとより、パリ、米LA、NY、ニュージーランドなど世界で展覧会を開催、今も人気を博しつづけている。「うれしいのは、ジャポニスムが中学や高校の美術の教科書に取り上げられ、知識として認識されるようになったことです」と艶やかにほほ笑んだ。
 今後?「やっぱり、この仕事にこだわりつづけたい。ファッションは世界に共通するテーマ。着るという、生きるための文化的な行為であることにも気付いてもらいたいから」。京都市下京区。

■写真:深井さん監修による
「ラグジュアリー:ファッションの欲望」展
©京都服飾文化研究財団、畠山直哉撮影

食堂「わたつね」店主 中塚 博己さん



そばを通じて海外と交流広げる

 この春、フィンランドとエストニアを訪れ、現地の日本文化祭で「にしんそば」を振る舞ってきた。「食材はオール京都。美山・鶴ヶ岡産のそば粉を使い、うま味のきいた京風だしで、皆さんに喜んでもらえました」。ミニサイズながら3日間に計150杯近くを作った。
 そばを食べるのは日本だけではない。07年に自費で参加した中国での国際そばシンポジウムには14カ国、約200人が集まった。「世界にはいろんな食べ方があります。でも、そば切りは日本だけの技と味」。昨年はスウェーデンにも招かれ、めん棒をふるった。
 大阪外国語大イスパニア語学科卒。東京の外航海運会社に勤めていたが、31歳の時、父親が倒れ、京都へ戻って家業の食堂を継いだ。本格的に手打ちそばを始めたのは51歳から。麺類組合の仲間から手ほどきを受け、3年がかりで腕を磨いた。
 外洋にかけた夢は8年半で閉じたが、その語学力と人脈を生かし、いま「そば」という世界食を通じて海外とつながる。職業体験で受け入れる地元の中学生にいつも話す。「遠回りしても、頑張ればやれる」。京都府麺料理調理技能士会副会長。京都市中京区。

新・こだわり派宣言とは・・・

団塊と呼ばれる世代が一線から退き始めている。偏差値に苦しんだ後に、管理社会の歯車になって働いた数十年。束縛から解き放たれた今こそ「俺は俺や」と声を上げたい。自分らしいこだわりを持って、「新たな出発をしたい」と願う。そんなあなたにエールを送ろう。こだわりを心に秘め、まだ走り続けているあなたには、いたわりの声をかけよう。百人百様のこだわりを追っていく。

題して「新・こだわり派宣言」。

協同組合「京のほんまもん塾」塾長 藤原 義明さん



食の総合プランナーとして、
ほんまもんの食文化にこだわる


■協同組合「京のほんまもん塾」塾長 藤原 義明さん(59)

 中学3年。修学旅行での京都を、「教科書でしか見たことがない町家。強烈なインパクトでした」。昭和44年、デザイナーを志して京都へ来たら、京町家がすっかり消えていた。「京都はこれでいいの」。だったら「自分で、ほんまもんの京都を探してやろう」と、7年前に協同組合「京のほんまもん塾」を立ち上げた。
 老舗の下請けで、しかも逸品にこだわる商人も数多い。「日の当たらない商人も、そろそろ物申す時代になっていい。彼らこそ『安全、安心』を消費者に売っているんです」。
 現代人はせっかちで、ほんまもんにこだわる店へも、平気で土足で上がってくる。「仕事はさせてもらいますよ。でも1年先でもよろしいか。『それでもいいから、ぜひ作ってください』と言わしめるのが、ほんまもんの商人です」。
 グラフィックデザイナー。食が好きで、店の経営にまで入り込んでしまう。「生産者が伝えられない思いを、ビジュアルで伝えてあげる。その手伝い役でいい」。やっぱり、こだわりがある。京都市右京区。

宮川町「花傳」女将 武田伊久子さん



淡いオレンジ色の光が、道の両側にぽつぽつと連なる。日暮れて、表の提灯に灯が入った宮川町通。照らし出される格子戸の家並みに、350年続く花街ならではの風情が漂う。
置屋「花傳」は、南北に長く延びる宮川町通の最も南に立つ。4人の芸妓を預かる女将は、なにより花街の「絆」にこだわってきた。
「他人どうしが集まって一つの屋形で暮らす私らは、いわば疑似的家族。太くて強い絆がないと、ばらばらになってしまいます。上下関係は厳しおすけど、一人一人の芸舞妓を周りの者みんなで育てていく。姉になった者は妹の面倒をとことんみる。そこらがよそさんの社会とは違います」。
芸舞妓にとって、花街の内と外にいかに多くの絆を結べるかが成功の鍵になる。「いうたら人の鎖どっしゃろか。網の目のように鎖をつなぐのが大事。その手助けをするのが女将の役割どす」。
女将になる以前、芸妓「小糸」だった時代に「インターネット芸妓の第一号」と呼ばれた。お客さんとの絆づくりに知恵を絞った末に付いた称号だ。ちょうどバブル経済が弾け、花街の客足が急減しているころだった。
「お客さんを待っててはあかん。こっちから提案せんと」。そんな思いでパソコンを習い「小糸のホームページ」を開いた。宮川町とお茶屋遊びの面白さをアピールし続けたところ、全国からアクセスが集中。「花街に興味を持って下さる方、遊びに来て下さる方、新しい宮川町ファンが大勢できました」。
中高生から、「舞妓になりたい」というメールの問い合わせが届くようになったのは、思わぬ収穫だった。実際に、メールがきっかけで花傳の門をくぐった3人は、いま一人前の芸妓に育っている。
女将になって11年。絆を重んじる目線の先にあるのは、花街の将来だ。「素晴らしいこの伝統文化を、生きたままの形で次の世代に渡すのが、私らの務めやと思うてます」。
務めを果たすには、どうするか。「外では、新たなお客さんを増やす人づくり。内では、お客さんのニーズに応えられる人づくり。両方が相まって花街は生き続けられる。やっぱり絆どすなぁ」。
和に徹して伝統としきたりを重んじる花街は、効率とスピード優先の現代に残る異空間だ。しかし、人々はその異空間の持つ優しさに憧れて集まってくる。こだわりを捨てず、時流にながされず、お客さんを迎え入れる女将の凛とした姿。表の提灯に、今日もまた灯が入る。

■取材協力/〒605-0801 京都市東山区宮川筋6丁目377-1
TEL:075-531-3480
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